2010年、セドナ行きを断った理由その2。
経済的な問題。
当時の私は、海外旅行に使うお金は、年に1回と決めていた。
遊びに使うお金は、贅沢。
何回も使ってよいものではなかったのだ。
社会人になってからは、年に1回親友との海外旅行が恒例となっていたため、
それ以外で海外に行くことは、禁じていた。
禁じる?!
大げさな!と笑われそうだけれど、
私のこころの中には、一定のルールがあって、
それにのっとって暮らしていたのだ。
それでうまく行っていたし、楽しんでもいた。
苦しくて仕方ない時期も抜けていたので、
基本的に自分の決めたルールの中で生きていて、
大きな不具合を感じてもいなかったのが事実。
けれど、常に何かに縛られて生きていた。
何かこのままではいけない感覚が常にあった。
簡単にいえば、もっと「こころ自由に生きたかった」。
単純に「遊び」というものにお金を使うことへの罪悪感。
一方で、遊びというものが、
人生の中でとても大切な要素であることもわかっていた。
車には、「あそび」がないと、動かないように。
人生だって、良質な「あそび」がないと、固まってしまう。
このセドナの旅は、「人生の自己投資」と思おう。
ゆうこさんに「セドナに一緒に、行きます」と答える直前、そう意味づけた。
意味づけることで、行動を起こせるなら、都合の良いように意味づけしようではないか。
とにかく行動を起こすために、脳をだました感覚でもあった。
そうまでしなければ、かたくなな私の脳と心は、
「イエス」と言わないと思ったのだから、
リミッターをはずすために、
「自己投資」「先行投資」という言葉がぴったり来るなら、それでいいと思う。
自己投資、先行投資したぶん、
それはあとでプライスレスな価値となって返ってくるのだから。
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(ひろか編その4〜時間的制限をはずすへつづく)