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【リレー連載】セドナで何が変わったか?ー時間的制限をはずす(ひろか編その4)

【リレー連載】セドナで何が変わったか?
2015年2月1日〜のDOORSアメリカセドナ&グランドサークルツアーの開催を記念して?、わたしたちDOORSのメンバーがいかに「セドナ」「グランドサークル」に惹かれるようになったのか?そしてスーパーパワースポット・セドナに行ったことでどんな変化があったか?を、ひろか・ゆうこのそれぞれの視点で振り返り、お伝えしていく連載です。

 

セドナで何が変わったか? ひろか編その1

セドナで何が変わったか? ひろか編その2

セドナで何が変わったか? ひろか編その3

 

2010年、セドナ行きを断った理由その3。

 

時間的な問題。

 

仕事は大丈夫か?

それを思うのは、当然のことだろう。

 

「時間は、作るものだ」。

そう誰かに言われていたことが、頭をよぎっていた。

 

「時間がないというのは、言い訳だ」。

これも、誰かから良く聞いていた言葉だ。

 

こころが惹かれるものが目の前にあるのに、

時間がないという理由で断るのは、

私の美学?いや、負けず嫌いなプライドに反していた。

 

いまや、この余計なプライドに関しては、絶賛手放し決行中だけれど、

当時は、とても役に立っていた様子。

 

とにかく、「言い訳をする奴は、カッコ悪い」

「カッコ悪い人にはなりたくない」という思いが、

当時の私を、突き動かした。

 

実際のところ当時から私は、一人で仕事をしていたため、

時間の調整は自分のこころ意気ひとつでできた。

 

とはいえ、自分ひとりではやっていけないことも多々あったので、

関わっていた関係各所へ「旅に出るから、休む」と伝えなければならない。

 

それは、プロとしていかがなものか?と

自分を律し、罰する気持ちが溢れてきたのだった。

 

 

当時は、休むことを「こわい」と感じていた。

自分が何かをしていなければ置いて行かれると、思い込んでいた。

 

いつも強迫観念のような、

「働かなければならない」という意識のなかで生きていた。

 

一度、その「ねばならない」意識をはずす意味でも、

この旅は重要な意味をもつ。そう確信した。

 

 

さらに気がかりだったのは、

毎週2回開催している「からだをほぐす自力整体」の教室。

当時、丸4年続けていた教室を、1回も休みにしたことはなかった。

 

どこかに旅に出かけたとしても、

必ずその時間には教室を開けるよう戻ってきていた。

 

自分で仕事を始めてからは、

会社員のときのように1週間や10日という長期の休みなど

とったこともなかった。

 

自分の「好きな仕事」をしているのだから、

遊ぶなんてもってのほかだ、

弱音を吐くなんてもってのほかだ、

と思っていたようにも思う。

 

そして、それが私を立たせ、前進させるプライドでもあった。

 

自分の「遊び」というプライベートのために、予定を変更してはならない。

それが、プロとしての義務と責任であると固く信じていたから。

 

当時の私のように、「ねばならない」と思い込んでいる人たちも、

世の中にはたくさんいるのではないだろうか?

 

 

でも、本当に、それで幸せ?

 

 

こんな風に、頭ガチガチの私だったわけだけれど、

なぜ、私が人生の各所で良き決断をし、

行動に移してこられているのか?

 

それは、私を私らしく生きる道へと導く問いを、

常に無意識で自分にしているからだ。

 

 

「自分が本当に生きたい生き方とは?」

 

 

この問いに答えるとき、

当時の「好きな仕事」をしているとはいえ、

自分にとって本当に心地よい生き方ではないことに気づいた。

 

ならば、どうする?

心地よい生き方に変えるには、どうする?

 

新しい世界へ飛び込み、意識と価値観を変える。

そこに私は、人生の可能性を感じている。

 

いままでの自分では想像し得ない世界、

いままでの考え方では実現できない人生。

知らないなら、知ればいい。

 

どうやら、その行動力と決断力だけは、持ち合わせているようだ。

そして、決断した人だけが、次のステージへ行けるのだと思う。

 

 

 

2010年のセドナの旅以降、

いままでの自由を取り戻したかのように、

国内海外問わず、何十回と旅をした。

 

「時間がない」といっていた自分が、

スケジュール帳を眺め、時間を作るのだ。

 

この意識が変わったことは、自分が自分の人生を創造していくうえで、

とても大切な要素のひとつだった。

 

「行く!」「やる!」と腹を決めたら、

スケジュールが空くなんてこともザラにある。

 

そこだけ、スケジュールが空いているということもある。

 

2010年のセドナの旅を決めたことをきっかけに、

「時間」というものの感じ方が、まったく変わった。

 

さらに、セドナという雄大な場所が、

ちっぽけな私の時間的概念を、ぶっとばしてくれた。

 

この意識転換も、私の人生を大きく変えていったのだと確信している。

 

2015.2.1〜10開催 DOORSセドナ&グランドサークルツアーのご案内

 

 

(ひろか編その5〜旅のあと、その先の可能性 へつづく)