Dear ゆうこりん


結果が最初の思惑通りにならなくても、

そこで過ごした時間は確実に存在する。

そして、最後に意味を持つのは、

結果ではなく、過ごしてしまった 

かけがえのないその時間である。

-星野道夫



この文章に出合ったとき、

「過ごしてしまった」っていう表現が、痛烈に心に響いたんだ。

 

わかっているかい?

何かを目指して走っている「今」こそが、かけがえのない時間なんだよ。

って、改めて言われた気がした。

 

どんな時も、確実に存在するのは、過ごしている「今」。

リアルに感じることができるのは、「今」、しかないんだよね。

 

でも、たとえ現状に満足していたとしても、

多かれ少なかれ、どこかで私たちは、

もっとこんな生活だったらいいなぁ、

もっとこんな風になりたいなぁ、なんて思って過ごしているのではないかな。

 

私たちは、未来があるって思って生きているから。

描きたい未来を想像しながら生きているから。

 

ビジョンを描くこと。

それは、とっても大事なことだけれど、

未来や目標ばっかり見ていたら、「今」というかけがえのないときを、

将来の予行演習期間みたいに思ってしまうよね。

今は、まだ不完全って思ってしまうよね。

 

でも、本当は、そうやって過ごしている「今」こそ、すべて。

 

「今」が、少し過去の自分が描いた思惑の未来と異なっているとき。

何かを目指して進んでいるとき。

この言葉を思い出す。

 

魂の旅である人生。

すべては、成長のプロセス。

未来を思い描くことは大切だけれど、

その一方で、忘れてはならないメッセージだと思うんだ。

 

過去、「今」、未来。

すべては、「今」に集約されるし、

大切なのは、バランスなんだと思うけれど、

ゆうこりんは、この言葉に出合って、どう思う?

 

From ひろかっち