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2011年7月の往復書簡~忘れられない風景




  誰にでも風景の記憶というものがあります。
  一生懸命思い出せばきりがないほど、たくさんの風景が頭の中に甦ってくる
  と思います。でも、自分の記憶の中でもモニュメンタルなものとなると
  そう多くはないような気がします。

  そしてその多くが特別な体験や出来事となると思いますが、
  そんなこととはまったく関係なく、いつもその場所や風景に心を惹かれ、
  いつまでもその記憶が自分の気持ちの裏側にあり、
  まるで聖地を眺めていたかのような印象を心の奥に残している
  ということもあります。


  永井宏 ー寂れた街のカフェに置いてあった
      もう絶版かもしれない本の一節より





Dear ひろかっち

なんてことない景色なのに何故か覚えている風景、時間。
きっと誰にでもそういう極めて個人的な風景というものがあるんじゃないかな。

私が今でも覚えている風景の記憶。

それは、大学の卒業旅行でニュージーランドに行ったときのこと。
友人2人に新しくマウンテンバイクを買わせ、女子3人でMTBを海外まで持参し、
移動手段としてではなく、あくまで散歩ツーリング手段として自転車に乗るという
ちょっと冒険な3週間の旅。

ニュージーランド南島、クライストチャーチからダニーデン、クィーンズタウンと訪れ、
旅も後半になった、テ・アナウという小さな湖畔の町の周辺を
のんびりと走らせていたときのこと。

その日は私たちのツーリング距離としてはやや長い30km近くを
走る予定だったから、お互い自由な速度で、人よりも断然多い羊の群れを
横目に見ながらのんびりと自転車を漕いでいて。

道の遠くに友人の自転車の影が見えるだけで、あたりに人工的なものは何もなく。
ただ巨大なロールケーキみたいな牧草のロールが草原のあちこちに並んでいる中、
自転車のホイールがシャーっていう音だけが聴こえる中、自転車を走らせ続ける。

風は心地よく、天気もよくて、どこまでも平和で穏やかで。

とそのとき、ふと急に私は、「ああ、この景色、絶対忘れないでいよう。
決して忘れることはないだろう」と思ったんだ。

とりたてて印象的な事件があったわけでもない、圧倒的に美しい景色だったわけでもない。
けれど、何故か急に、そんな気持ちが沸き起こった。ああ、この瞬間を、
この景色の中のこの記憶を絶対に忘れないでいようって。

そんな風になにかの景色を見て思ったのは初めてのことだったように思う。

nz01.jpg
おそらくそう思った瞬間に自転車を止めて撮った写真

そのとき私は、長年続いたひどくつらい恋を強引に終わらせて、
何か新しい出来事でそのつらさを埋めようとしていたそんなときだった。
思い出したくないのに思い出してしまう過去の記憶を、
どうにかして違うものに変えたかった。

つらい記憶の上に楽しい記憶を上書きすれば、
下にあるものは消えていくんじゃないかと本気で思っていて、
必死にそのことと格闘していた時代だった。

突然忘れないでおこうと心に思った、なんてことのない平和で
いかにもニュージーランド!というようなその風景のことを思い出すたびに、
その平和な風景とは裏腹の、あの頃の必死で青かった
自分のことを思い出してしまうんだ。

気を少しでも緩めてしまうと、すぐにほろりと涙がこぼれそうになったあの頃、
その中で感じた、最高の幸せを。

風景の記憶っていうのは、そんな風に、その景色そのものではなくて
そのときに刻まれた過去の時間の記憶が、本当は大事なのかもしれないな、と思ったりするよ。


ひろかっちは、そんな、忘れられない風景の記憶ってあるかな?


nz02.jpg
テカポ湖 New Zealand 南島
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Comment [1]

Dearゆうこりん

忘れられない風景の記憶。

この手紙をもらってから、数限りない風景が私の脳裏に浮かんでは消えていったよ。
でも、モニュメンタルなものってなると、さぁ、なんだろう。

恋ってキーワードで、風景の記憶を手繰り寄せてみた。
それは、ゆうこりんと同様、私もひとつの恋が終わりを告げたときのこと。
もうどこかも忘れてしまった、仙台市内のごく一般的な道路。
けれど、私にとっては、ふたりで最後に手をつないで歩いた1本の道。

今まで、1本だったふたりの道が、
その先、2つに分かれているのを感じた瞬間。
なんでもない道路のはずなのに、記憶の中では、
過去も今も、光に包まれて2本の道が生まれた風景として留まっている。

もう日常のなかでは、思い出すことのない過去の産物。
10年以上のときを経て、切り取った一枚の写真ように、
私の人生の履歴を物語っている。

忘れられない風景の記憶は、
私たちのDNAに、魂に、深い刻印を押すようなものなのかもしれないね。

そして、もうひとつ思い出したのは、私の原風景。
幼いころの記憶。

山の中にたっていた母方の祖母の家。
そばには、みかん畑と野菜畑があって、
真っ赤なトマトやスイカ、パリッと音のするキュウリが採れるんだ。

庭先に立つと、ほんの少しだけ海が見えた。
青い空と白い雲。
小高い大地には心地の良い風が吹いて、夏になるとせみの大合唱。

それこそ、田舎のなんでもない風景なんだけれど、
私には、今でも宝物のようにキラキラ輝いている。

思い出すだけで、そこからパワーをもらえるような。
なんにも考えず、ただ純粋に楽しいことを楽しい!って感じて、
笑って、泣いて、素直に表現していたあの頃。

あの風景を思い出すと、私は自分の原点に戻れるのかもしれない。
それは、大人になって意識して忘れないでいようって思った風景とは違うけれど、
ずっと心の中にあって、それこそ聖地を眺めるような感覚になることさえある。

意識しようとしまいと、私たちの魂には、ひとつひとつモニュメンタルな風景が、
記憶されていっているんだね。

私が、もっと年をとったとき、
今生きているこの時の、どこかの風景も、モニュメンタルなものになっているのだろう。
未来の私は、今の私には知り得ない感覚として、
私の記憶の中にある風景を感じとっているんだね。
そう思うと、忘れられない風景の記憶って神秘的だね。

Fromひろかっち

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About

DOORS連載・それぞれの人生で心に響く言葉を題材に ふたりで交わす愛いっぱいの公開レター 気づきの往復書簡。

キラキラわくわく。時に深遠に。 そこには人生の気づきがてんこ盛り!

登場人物

ひろかっち
人生は魂の旅! たまに天然炸裂の 旅大好きセラピスト

プロフィール詳細

ゆうこりんは、旅と遊びの先輩。 そして、思いを深く分かちあえる人。

ゆうこりん
人生を旅のように生きるがモットーの 旅人ボディセラピスト。

プロフィール詳細

ヒロカッチは、遊びの中で人生の深みを 感じ、共に体験し笑いあえる人。

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