長いトンネルを抜けると、雪国であった」。
これは、川端康成の小説『雪国』の冒頭の一文。
実は、読んだことのない作品なのだけれど、
なぜか印象に残っていて、トンネルを抜けたり、雪を見るたび思い出す。
温暖な気候である瀬戸内で生まれ育った私は、
雪が積もるという経験は、数えるくらいしかない。
雪国の厳しさを知らないため、雪と聞くと、幻想的で美しいイメージが湧いてくる。
だから、この一文から、トンネルを抜けた先が真っ白な世界という想像をするだけで、
一瞬で変わるその世界に、胸がわくわくしたのだ。
生きていれば、いろんな場面に遭遇できるもので、
何度か、実際にも「トンネルを抜けると・・」という経験をしたことがある。
まるで、こちらからあちらの世界。
それは、何度体験しても、
トンネルを抜けた先に見る風景の違いに目を見張り、
同じように続いている空の下なのに、まったく違う天候と景色に、
なんとも神秘的で不思議な気持ちになるものだ。
そして、そんな体験をするたび、
人生もそんなものなのかもしれないとさえ思うことがある。
一瞬にして変わる景色。
私たちの体験はとても自由で、同じように続く空間の先でも、
思いもよらない縁やタイミングに恵まれて、不思議な経験をすることがあるから。
それこそが、生きている醍醐味だと、やっぱり私は感じずにはいられない。
綿あめみたいに、空から舞い降りる雪。
その所以をいくら物理的に説明されたところで、
固形物が空から降りてくる現象が、不思議で仕方ない。
そして、その舞い降りできたものが、地表にならんで大地をおおい、
一瞬にして地球の表面の色を変えてしまう現象も、
惑星の神秘を感じる瞬間だ。
雪を見ると、
そういう惑星に生まれて来たことを、ふいに不思議に思ったりする。
それは、言葉を変えれば、ただ単純に、
目の前にある雪景色が美しいってことにほかならないのだけれど。
手つかずの自然が残る雪山へ行った経験のない私の雪体験は、
とても日常的なものに過ぎない。
それでも、印象的な景色というものは、生涯こころの中に残るものなのだろう。
体験してきた美しい雪景色を回想するとき、
吹雪のなか、やっとのことで宿にたどり着いた、北陸の旅を思い出す。
一夜明けると、そこは、一面の銀世界。
キラキラ輝く太陽の光を浴びて、昨晩の吹雪がうそのように、
美しい世界へと様変わりしていた。
地球という惑星の神秘。
それは、天からの贈り物のようでもあると思った瞬間だった。
何度も訪れている長野県の戸隠神社奥社の参道も、
雪のシーズンに歩くと、筆舌に尽くしがたい厳かな気持ちに包まれる。
片道2キロの雪の参道。
随神門をくぐりぬけ、杉並木に入ると、そこは異空間だ。
緑の葉がキラキラ陽光に輝く夏の参道とは違い、
聞こえてくる雪を踏みしめる足音。
大地の温もりとはまた違う感覚。
まるで宇宙から贈り届けられた産物に囲われ、
内なる自分との対話が始まるようだ。
そう、
雪には、そんな不思議な力があるように思えてならない。
内なる自己との対話がはじまる戸隠神社奥社、雪の参道。