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石。

いろんな視点からの「石」があるけれど、
今回は、クリスタルやアメジスト、いわゆる鉱石としての「石」にまつわる
ワンダー体験記を綴ってみようと思う。


いまでこそ、私にとって、石は心地よく親しみのあるものだ。
けれど、幼いころは、なんとなくこわさを感じる存在だったのが正直なところ。

ターコイズのペンダントのような、お洒落アイテムとしても、
決して手にしようとは思わなかった。

なぜ、そんな風に思っていたのか明確ではないけれど、
なにか私の知らない不思議な力があるようにも感じていたし、
なにより、何か情報がいっぱい詰まっているようにも感じていた気がする。

そういう得たいの知れないものが、
触ると、自分の中に入ってきてしまいそうで、こわかったのだ。


それでも、石は、自分の日常のなかで、たくさん触れることになっていた。
石好きな父の影響で、
そこらじゅうに、いろんな石が、家には置いてあったから。

特に印象的だったのは、紫色のアメジスト。
神秘的というより、私にとっては、怪獣のようだった。

ギザギザの口がパックリ開いた石。

いま見ると、「美しい~!」などと言って、父に共感する気もするけれど、
当時の私は、こわさや気持ち悪さの方が勝っていた記憶がある。


それから、時は流れ。

私は、縁に縁を重ね、"スピリチュアル業界"と呼ばれるたぐいのものに、
カテゴライズされることもある職種を仕事としている。

セッションでは、クリスタルの力を借りたヒーリングやワークをしたり、
必要な方には、メッセージとともに、持っておくとよい石を紹介したりする。

不思議なご縁でやってきた石たちを、部屋の各所に置いてもいる。

至るところで、石がその存在感を放っていて、
優しく守ってくれているのを感じるほどだ。

満月の夜には、その石たちをすべて月光浴させる。
すると、パワフルな石たちがいなくなった部屋は、
もぬけの殻のように、なにか物足りなさを感じたりもする。

私も変わったものだ。

小さい頃から変わっていないのは、石を生き物のように感じているその感覚。

文章のなかでも、「石たち」なんて、人みたいに表記しているあたり、
その存在とエネルギーを認めている証拠だと思う。

いつしか私にとって石は、
ある種のパワーや意味を持たせるものになっていた。

例えば、"ピンク色のローズクォーツは、恋に効く石"のような。

そして、石によるエネルギーの違いも感じ取るような生活になっていた。

そんな私の石に対する感覚をブレイクさせてくれたのは、
世界最大級のミネラルショーでの、巨大な石たちとの遭遇による。

そもそも、このショーが開かれるアメリカのツーソンという場所。 
私は、それまでその町の存在すら知らなかった。 
訪れる予測すらなかったのだから、 こういうご縁ひとつとっても、 
人生とは不思議な旅だと思わずにはいられない。 

 2010年2月、ドアーズの相棒ゆうこりんと旅したセドナ。
 私は、すべてセドナに滞在するつもりでいた。 
ところが、ある日、「ツーソンに石を見に行くスケジュールを組まない?」と、 
彼女から提案をもらうことになる。

世界最大級のミネラルショー。 そこに彼女の友人が、タイミングよく
石の買い付けの仕事で滞在していて、案内をしてくれるというのだ。 

私は、返事を渋った。 5泊7日という少ない日数で、
セドナからツーソンまでの距離を移動するのは、 いかがなものかとも思ったし、
せっかく行くセドナを充分に満喫したかったからだ。

 けれど、そこはプレゼン上手なゆうこりん。 
その場所へ行ったことがある人のブログをメールに貼り付けてきて、 
「これを見て!」と投げてきたのだ。 
そこには、女性とともに、背丈の倍以上ある2体のアメジストが凛々しく写っていた。 
そのブログに写っていた写真を見るなり、 私は手のひらを返したように、即答していた。 


「私も、巨大な石を見たい!ツーソンへ行こう!!」。


そんなこんなで、私たちは、内面の大きな解放が起こった
セドナの奇跡的な旅を終えた後、
ツーソンまで約5時間、車を走らせたのだった。


アメリカの広大な大地。

まさかの雪景色から出発して、虹に見送られ、
雨がやんだあとを追うように、ツーソンへと向かった。

ツーソンは、アリゾナ州の端にある。
もう数時間、車を走らせればメキシコが見えてくる場所だ。

だだっ広い大地を走り抜けているうちに、
私の心は、もうなんでもできそうな気持ちになっていた。

過去のいろんな苦しみや悲しみ、痛み、
すべてをとっばらって、これから新しい自分で生きる!
そんな風に感じながら、移り変わってゆく景色に身を置いていた。


かなりの距離だったけれど、
その道のりすらも、私にとっては、ギフトだった。

巨大な石たちが私たちを呼んでいる?!
ワンダーランドに突入していくような楽しさに胸を膨らませた。

岩に登ったり森の中を歩いたりする工程を通して、
身体を思い切り動かしながら、内面を深くシェアしてきたセドナに変わり、
一気にスパークしていくような解放感さえ感じていた。


そして、巨大な石とのご対面。
石!石!!石!!!
そこは、笑っちゃうくらい面白い場所だった。

水晶玉と呼ばれるものは、大きなバランスボールに見えた。
直径1メートル近い丸いクリスタルが、ごろごろ置かれている。
失礼ながら、神秘的な雰囲気のかけらもない。

足湯ができそうな、口のぱっくり開いたアメジスト。
普通に浴槽に使えそうな、大きな石たち。

見れば、見るほど、笑いが込み上げてくる。

エネルギーを感じるとか、
この石が持っている情報がどうとか、
そんなことを思う余裕もないくらい、
ただ、鉱石としての巨大さに、はしゃぎまくった。


もう、なんでもあり!


石に意味を持たせたのも人間。
持たせないのも人間。

石は、自然の産物として、ただそこに存在する。

この巨大な石たちを見て回りながら、

「なんでもありなんだから、
自分に素直に、自由に生きればいいさ!」

そんな気持ちが溢れてきた。

それも、そこに並ぶ巨大な石たちのエネルギーだったのかもしれない。

でも、それは宇宙からの神聖なメッセージというより、
すべてを笑い飛ばすような痛快なものだった。

ユーモアに溢れているようにも感じられた。

セドナという場所を旅して、ツーソンで巨大な石に出合い、
そして、その夜には巨大な野生のサボテンに囲まれて、
山の上から美しいサンセットを眺めた。

そのときの強い決意が、いまの私の人生につながっている。

そして、その素晴らしい体験は、いまでも私の心の中を喜びで満たしてくれる。

石は、ご縁で出合うという。

意図なんてまったくしていなかったけれど、
もしかしたら、どこかで石たちが、私を導いてくれたのかもしれない。

それが、目に見えない自然の力なのかもしれないと、今更ながらに思う。

そう思うと、やっぱり「石」って、
長い年月をかけて創られた不思議な地球の産物だと思わずにはいられない。

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自分より大きな石に、私の心も大きく広がってゆく