小さい頃から、「空」を見上げるのが好きだ。
実際に目で見るだけでなく、心の中で「空」を感じるのも好きだ。
私の心の中には、いつも果てしなく広がるいろんな色の空がある。
10代のころ、いつも思っていたこと。
「空は、海を超えて、どこまでも繋がっている」。
このことは、私の想像力を無限に広げてくれた。
文化や風習や言葉や思想が違っても、
私と同じように、ご飯を食べて、寝て、
家族や友達とおしゃべりをして、働いて、
暮らしの営みをしている人たちが世界中にいる。
いま、私が見ているのと同じ空の下に、いろんな人たちがいる。
その事実を思うだけで、私の胸はわくわくした。
本当に何か不思議な力で世界は繋がっているような気がしていた。
思春期。
18歳までを過ごした4畳一間。
学習机の脇に窓こそあったが、
出窓にはものが溢れていて、開けることはほとんどなかった。
そのため、いっそう夢見がちな少女であった私の想像力は膨らんでいった。
夏になると、窓のそとから蝉の声が聞こえ、
その後ろに広がるであろう夏の空を思った。
木枯らしが吹くころになると、
カタカタと窓を鳴らす風とともに秋の空を思った。
音や匂いとともに、私はいつも空に抱かれる気持ちになっていたのだ。
イギリスに滞在しているときも、
しょっちゅう部屋の窓から空を見ていたことを思い出す。
暮れていく景色の中には、いつもそこに空があった。
自然のなかであれば、どこにいても景色のなかに空があるのは、あたりまえのことだが、
そんな当たり前の自然をいつでも感じられることが、幸せだなぁと思う。
一日たりとて、一瞬たりとて、同じ空はない。
空って不思議だ。
都会の中にいてさえ、日常の生活の中にいてさえ、
ふと空を見上げると、
私も宇宙の一員だということを思い出させてくれる。
どんなに手を伸ばしても届かない空。
それでも、毎日わたしの頭上にあって、
親しみのある空。
心が折れそうなときも、
見上げるだけで、「きっと私は大丈夫」と思えた。
スペシャルな感覚になる空でなく、
毎日見ているような、昼間のなんの変哲もない空でも、
そう感じるのだから、自然が創りだしている産物は、やっぱり素晴らしい。
神奈川県の秋谷海岸で見た夏の空。爽やかな青い色が、元気をくれた。