地球を感じる景色。
それは、私にとって飛行機に乗る楽しみのひとつだ。
太陽や雲、大気などの状態で、刻々と変わる空模様。
時折、広がる美しい宇宙のサプライズ。
何度、飛んでも、毎回出合える情景が違うから、
慣れっこになった今も、静かなわくわくが胸の中に沸き起こる。
先日の東京羽田から広島空港へのフライトは、
久しぶりに溢れる「光」を感じる空の旅だった。
霧により、引き返す可能性のある条件付き出航。
運を天にまかせて乗り込んだけれど、
飛び立った瞬間に綺麗な虹が見送ってくれ、
長いこと、太陽と光とともに、虹が飛行機についてきた。
何回乗っても、スペシャルに感じるフライトはあるものだ。
その特別感は、心象風景が作り出すものでもあるけれど、
目に見える形での「光の風景」は、私に大きな勇気をくれる。
「雲の上では、瞑想もしやすいんだって」と、誰かが言っていた。
そう感じると、ほんの少しだけれど、宇宙に近い気がして、
地上から離れたその場所では、クリアなメッセージが届けられる気にもなってくる。
「大丈夫だよ。守られて、導かれているから、そのまま進んで大丈夫だよ」って。
すべてはつながっているという世界観。
そういう感性で、すべての物事や人とのつながりを捉えはじめてからの人生は、
そこかしこに、奇跡を見つけていくようなものだった。
年々、「光」を感じる感受性にも溢れ、
毎日は、発見と感動の連続で、わくわくと喜びでいっぱいの日々だった。
そんな中で起こった、私の人生における、天変地異。
それは、突然、「闇」のなかに放り出されたような感覚にもさせられた。
今まで、築き上げてきた世界観や、感じてきた「光」はなんだったのか。
人生を好転させるすべての価値観が、ガラガラ音を立てて崩れていくような、
そんな感覚にもおそわれた。
けれど、光と闇は、対をなすもの。
宇宙には、問われている気がした。
「あなたは、こんなときにも、どんなときにも、光を信じることができますか?」
「希望を持ち続けることができますか?」
「宇宙のはからいや導きを、心から信じることができますか?」って。
目の前で起こる物理的現象がどうであれ、
その根底に流れているものを感じ取っていったとき、
今、ここにも「光」はあるのだと、
すべては愛を体感するために起こっているのだと感じられた。
けれど、たとえそう感じても、これでもかと押し寄せる現実に、何度もなえそうなった。
そんなとき、昨年、自然の中でめいっぱい遊んで感じた、
「光」の美しさや心地よさを思い出した。
旅先で、「光」を浴びた体感が、
時空を超えて、私を支えてくれたといっても過言ではない。
日常の中にあっても、きらきら光る木漏れ日が、私に元気をくれる。
意識しようがしまいが、私たちに「光」は、降り注がれていて、
その恵みを受けて、いまここに存在しているのだ。
そう思うと、せっかくだから、毎日の生活のなかで、
もう少しだけ、「光」を感じることを意識してみようと思う。
ほら。
空を見上げれば、
今日も、雲のあいだから、光の柱が降りていることに気づくだろう。
久高島でみた光を放つ朝陽にも、大きな希望と勇気をもらった