「忘れない」ということは、なにかの拍子に青い空を見上げながら「誰かのことを想う」ことなのではないでしょうか。そして手紙も、誰かを想う気持ちからはじまったのかもしれません。西條剛央+ふんばろう東日本支援プロジェクトおたより班 あとがきより
この文章は、私が去年の東日本大震災後に関わっているボランティアの「ふんばろう東日本支援プロジェクト」が出した2冊目の本の、本を開けてすぐのところにあるあとがき抜粋にある文章。この本はとても素晴らしい内容被災地の方とのお手紙のやりとりを綴った本で、是非読んでもらいたいものなのだけれども、今日の話題はそのことではなくて。
「忘れない」ってどういうことなんだろう?
忘れたいこと、忘れたくないこと。
忘れたいのに忘れられないこと。
いろいろあるけれど、忘れないでおこう、と思うことって、自分にとっていったいどんなことなのかなあ?とちょっと考えてみたんだ。
そしたら、ふとイルカのことを思った。
ちょうど、今回の別連載のテーマが御蔵島のことだったから、それと連動してのことかもしれないけれど、とにかく、私はイルカにまつわる2つのことを思い出したんだ。
ひとつは、もう15年以上前、自分がとても辛い時間を過ごしていたときに、ふと本屋さんで目に留まったある写真集。それは、今や水中写真家としては超大御所になられた、高砂淳二さんの初の著書、free という写真集だった。
青い表紙に目を奪われ、何気なくページをめくりはじめた。キュートな熱帯の鳥や海辺のキラキラした風景に、とてもウキウキした気持ちになった。写真集だから、大きくて綺麗な写真がずっと並んでいて、でも最後の最後のページに、水中で撮影されたイルカがそこにいた。
こちらを向いて笑っているようにも思える顔。
そして、そのページをめくった先に、一言だけ書かれていた文章。
「あしたもきっといい日。」
その言葉を見たとたん、自分では大丈夫って思って毎日を過ごしていたつもりが、いつの間にか過呼吸になりそうなほどの緊張に包まれていた自分の、その精神の糸がプチンと切れて、そこが本屋さんであるということを忘れるほど、涙が止めどなくあふれてきたんだ。
そしてそれは、私が購入した初めての「写真集」になった。
このあいだ、久しぶりにこの本を思い出して、本棚から出してみた。少し表紙が黄ばんでくる程の年月、今見ると、ちょっぴり今とは流行が違う、時代を感じる書体。
もう、今この写真集を見ても、涙が溢れるなんてことはないし、あのとき何故そんなにもこの写真とあのひとことで、涙を流したのか、もはやわからなくなっていたけれど、それでもあのとき、私は確実に、あの最後のイルカの笑顔と一言に救われて、それを絶対忘れないでおこう、と思ったことは、よーく覚えていて、なんだかとても、懐かしかった。
そして、そのイルカの笑顔がどこかで記憶の奥にあったのだろう。
結果的に、その後やっぱり辛いなあって思うときに、私は、今度は本物のイルカに救われることになったんだ。
大好きだった人との価値ある別れ、と頭では理解していても、どうしても誰にも言えないさびしさのようなものがつきまとっていて、とにかくなんとかしたい!もうこれは、自分の中で最大の幸せである"野生イルカと泳ぐ"ドルフィンスイムをするしかない。そう思って、突発的に行った御蔵島。
そこで、私はそれまでにも何十回とドルフィンスイムしてきた中で初めて「イルカにソナーを当てられる」という体験をしたんだ。ソナーというのは、イルカが捕食したり仲間とのコミュニケーション手段として使っている超音波のことなのだけれど、今まで、キューキューと声を発したりコロコロコロという音を発したりしているのはよく知っていたけれど、このときは、私に面と向かって、ビビビビビっと電波を当ててきて、私はそれを、ビビビっと感じたのだった。
そんなことは初めてのことで、でも、そのことで、そのとき大好きなはずのドルフィンスイムの最中なのに、なんとなく心ここにあらず、という気持ちだったのが、急に、「ハッ、そうだよね、今、わたし人生で一番幸せな時間だと思っているドルフィンスイムしてるんだよね。目の前にイルカいるんだよね、そうだそうだ。落ち込んでちゃいかん」と我に返ったようになり、そうしてその後、この上ない幸せな気分で、イルカと目を合わせて絡んで泳ぐ、ハッピーな時間を過ごしたんだ。
イルカと目を合わせて絡んで泳いだときの気持ちは、本当に何故だかめちゃくちゃに幸せなきもちになって、きっと変な物質が出てるんだと思うんだけど(笑)、とにかく、その気持ちを忘れたくないなっていつも思うし、例えば自分が仕事でやっているボディセラピーのセッションの終わりに、エネルギーを流す時間を少しだけ取るんだけど、そのとき私はこの、イルカと泳いだときの「あのときの、あの感じ」をできるだけ伝えたいと思っているんだ。この感覚は絶対に忘れたくないし、忘れない。
イルカのことをふと想い、その存在とエネルギーを感じられる限り、きっと、どん底に落ちる、ってことはないんじゃないかな、とすら思うんだ。
ひろかっちは、これを読んで、「忘れないこと」「忘れないでいよう」って思うこと、何か思い浮かんだかな?
ゆうこりん
Comment [1]
DOORSさん
Dear ゆうこりん
「忘れないこと」「忘れないでいよう」ってこと。
このレターをもらったとき、一番最初に思い出したことは、祖祖母の死だったよ。
当時、私は、小学校中学年くらいで、祖祖母のことは、「おおばあちゃん」と呼んでいた。
90歳を過ぎてからの大往生だったのだけれど、あの日の出来事は、いまでも鮮明に覚えている。
妹と家の裏で遊んでいたら、母が「おおばあちゃんがあぶないから、早く戻ってきなさい!!」と、呼びに来たんだ。
そして、寝たきりだった祖祖母のベッド周りに、祖母、母、妹と私が集まった。
娘である祖母と母は、泣いていて、まるでドラマを見ているようだった感覚を覚えている。祖母が号泣する中で、祖祖母は、静かに息を引き取ったんだ。
それは、9歳くらいの私にとって、本当に不思議な出来事だった。
「魂」って言葉をその当時、知っていたかわからない。
でも、何かが体の中から抜けて行って、目の前の身体は、単なる「もの」になる瞬間。
いまのいままで、息をして温かかった身体が、音をたてなくなる。
寿命をまっとうするというその時。
経過の一部始終をともにしながら、私は、自分が悲しいのかすらわからなかった。
「死」とはなんかのかすら、わからなかった。
ただ、そのとき一つだけ強く思ったことがある。
「おおばあちゃんが、この世からいなくなった日を覚えておこう。おおばあちゃんが生きていたことを忘れないでいよう」ってことだった。
それが、いま思えば、人生で初めて、「忘れないでいよう」って強く思ったことのように思うよ。
年を取ったら人は死ぬもんだと思っていたところもあったし、関わりとしても記憶の中では寝たきりの祖祖母だったから、激しく悲しいとか苦しいとか、やりきれないとか、そんな感情は起こらなかったように思う。
ただ、祖母や母の感情の吐露を感じて、なんだかすごいことを目の当たりにしている気分になった。滅多に遭遇できない現場に、自分が居合わさせてもらったような深遠な気持ちにもなった。人が死ぬってことが、どういう感情を自分にもたらすかわからなかったのが本音。人が肉体を離れる瞬間において、自分には、なにもできない。
でも、なにかしたいって思ったんだ。そうしたら、自分にできると思ったことは、「この日を、忘れないでいよう」ってことだった。もしかしたら、それが、「何かの拍子に青い空を見上げながら、誰かのことを思う」ことにつながっているのかもしれないね。
私は、かけがえのない親友を二人亡くしていたりするのだけれど、それらだって、「忘れないでいよう」ってことのひとつ。
それは、私にとって、いまとなっては悲しい出来事の記憶ではなくて、心と心はどんなに離れていても深い水脈でつながっているような温かいものに変わってきているんだ。
その関わりのなかで感じたすべては、私の中で生きている。
それが私の「忘れないでいよう」って、意識して思ったことたちかな。
それとは別に、旅しながら解放されたキラキラ輝く感覚、めいっぱい喜びを身体中で感じた感覚は、「忘れないこと」として全身に染み込んでいるように思う。
それは、意識して「忘れないでいよう」って思ったわけではなくて、無意識に身体が覚え込んでいるもののようだ。
親友とマウイ島に初めて行って、真っ青な海と青い空、美しいハレアカラのサンセットと星空、エネルギーを感じて、笑い合ったときのこと。
それこそ、ゆうこりんと旅した沖縄やセドナ。
旅先で出会った子たちと、屋根の上に上がって、ジャンプして楽しかったことや、夜な夜な語り合ったことや、広大な大地に車を走らせたり、お日様のもと走り回ったり、美しい虹や夕日に目を輝かせたこと。
数えきれない奇跡的な体験の数々。
言葉にしてしまうと、チンケに思えてきそうなことだらけだけれど、そのひとつひとつが、キラキラ輝く宝石のように、私の細胞が記憶しているのを感じるんだ。
母が倒れて一気に自分が引き受けることがやってきて、キャパシティオーバー寸前までいって、想像を絶するような精神状態のなかで、どうしようもなく現実での出来事がつらかったとき、その記憶が、私を救ってくれもしたし、勇気ずけ、大きなエネルギーをくれた。
自然のなかを旅したその経験が、あとになって、こんなにもパワーをくれることを初めて知ったよ。ゆうこりんが、最後に書いてくれた「イルカのことをふと思い、その存在とエネルギーを感じられる限り、きっと、どん底に落ちるってことはないんじゃないかな、とすら思ったんだ」。
まさに、私はその経験を2011年の激動のなかで、リアルに体験していたよ。
青い空を見上げて、無意識に体が「忘れないでいよう」って思ってくれていたことを、意識的に思い出しては、元気をもらった。
私は、大丈夫だって心から思えたんだ。
それは本当に不思議な体験だった。
過去の記憶からエネルギーをもらう。
自然のなかで感じた喜びを全身全霊で覚えている証拠でもあった。
こんな風に、私は、意識的に「忘れないでいよう」って思ったことと、無意識に「忘れないでいよう」って思ったことを思い出したよ。
そのどちらもが、私にとっては、とても大切なことだと今は思っている。
そして、これからも、私は、こういう感覚をたぐりよせるように、ふと青い空を見上げて、思い出すんだろうなって思う。
それは、冒頭のメッセージにあったように、誰かを思う気持ちであったり、ゆうこりんの書いてくれたように、そこから元気や勇気をもらうってことだったりすんだと思う。
それが、「みんなつながっている」ってことだとも、今は思っているからね。
From ひろかっち
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