石橋を叩く「賢さ」より
 飛び込む「愚かさ」を
      
     --松浦弥太郎(暮らしの手帖編集長、COW BOOKS代表)




Dear ゆうこりん

今回は、心に響く文言を書き留めている、私の「笑顔の素ノート」から。

実は、この言葉にどこで出合ったか覚えていないのだけれど、
ノートには、2010年7月と記してあったよ。

2010年というと、私は、「旅」をキーワードに、
水を得た魚のように、新しい世界に飛び込んでいるときだ。


マウイ島(ハワイ)や沖縄の久高島を何度も訪れたり、
セドナの奇跡的な旅を経験したり、
御蔵島や八重山諸島にも旅をした。

ドアーズの伏線になったとも感じられる、
瀧行&お社に泊まる戸隠ワンダー☆ツアーを何度も開催したのも、
そういえばこの年だ。

そして、最大の人生の変化。

引っ越しをして、開業をした年。
それは、解放や開花、変容をサポートするプロのセラピストとして生きると、
決意をした年でもあった。

その年に起こった出来事や感情や感覚の変化の一部始終を分かち合ってきた
ゆうこりんなら、その時の私にとって、
この言葉の概念が、常に後押しをしてくれていたであろうことは、
容易に想像できるだろうね。


私は、はっきり言って直感で生きている人だと思う。
最終的に、決めるのは自分だから、
人生の岐路において、直感を採用しなかったことはないようにも感じる。

けれど、そのくせ、直感で決める物事への言い訳を探すために、
石橋を壊れる寸前まで叩く。
なにをどうしたって、直感で得たものを曲げる気はないくせに、
右脳と左脳の葛藤で、おかしくなりそうなくらい、叩くことすらある。
そんな癖がある。

ゆうこりんの知っているように、
私は、未知の世界に飛び込むことを怖がり、
臆病になる性質がある。

飛び込んでしまえば、いままでの臆病さが嘘のように、
自由に大胆に動き回るのだけれど(笑)


そういう自分を知っていたのか、
物心ついたころから、自分のモットーの中に、
このメッセージのような言葉を、常に掲げていたのを覚えているよ。

10代のころのモットーは、
「後悔するなら、やってから」。

行動を起こさず、飛び込まず、後悔するくらいなら、
飛び込んでから後悔する人生を送る!と決めていた。

そのほうが、豊かな人生を過ごせる気がしていたから。

そのモットーは、一歩の勇気が出ないとき、
いつも私の背中を押してくれたよ。

言葉を変えながらも、私の人生では、
いつもこのメッセージのようなことを大事にしているんだ。

大事にしているというより、
勇気を出す"喝"にしているように思う。


同年10月。
八重山諸島の最南端・波照間島から出発する日。
私は、ノートにこんな言葉を記していた。

「自分にウソつかず、自分で決めて動いて、委ねてたら、
今過ごしている流れの中で、
絶対、辿り着きたい場所にいくんだって思う」と。


私は、ちょうど今、人生に関わる選択のひとつをする機会があったのだけれど、
自分がよりわくわくと喜びを感じる選択、
意欲と情熱が湧き起こってやまないほうに、
飛び込んだんだって思う。

私は、このメッセージのように、
飛び込む「愚かさ」を選択できる生き方を、
潔くてかっこいいと思う。

そうして繰り広げられていく人生は、
宇宙の奇跡的なサポートや感動が、いっぱい待ち受けているように思えてならない。

だから私は、いつも思うんだ。
選択に迷うとき。
飛び込む「愚かさ」を選ぶって。

ゆうこりんは、この言葉や私のレターを読んで、何を感じるのかな?
何を思うのかな?

私からしたら、新たな世界に飛び込んでは、
数々の奇跡や感動を体験している人生に感じられる、ゆうこりんの生き方。

当の本人は、どんな感覚なんだろう。
お返事を楽しみに待っているよ♪

From ひろかっち