ポニョ、好き。宗介、好き。-映画『崖の上のポニョ』ポニョの台詞より
Dear ゆうこりん
今回は、こころがほわんとなるような、簡単な文言を題材にしたかったんだ。
頭を使って考えさせるようなものじゃなくて、単純きわまりないものをテーマにしたくなった。
これは、言わずと知れたジブリ作品『崖の上のポニョ』に出てくる、
さかなの子どもポニョの台詞。
ポニョという名前は、救ってもらった人間の男の子・宗介が付けたものなんだけれどね。
ポニョは、5歳の宗介が大好きになって、人間になろうとするんだよね。
いわば、日本の子ども版・人魚姫?!
でも、まったくもって悲壮感はなく、明るい夢物語のような話なの。
人間になるにあたって、ポニョ自身も、宗介と二人でも、
大冒険をするんだけれど、
その中で、何度も繰り返すのが、この台詞。
「ポニョ、好き。
宗介、好き」。
私は、この台詞が大好きなんだ。
自分も、好きな相手も、「好き」と言える率直さ。
作品全体を通して、好きなものを「好き」と言う素直さを全面に感じる。
それは、本当に爽やかで、心地よい。
そして、その「好き」っていうまっすぐな気持ちが、未来を切り開いていく。
単純な「好き」って気持ちに勇敢な行動がついていっているところが、
たくましくて、また、なんともかわいい。
もし、これが思春期の少年少女だったり、ましてや大人の物語だったら、
こんなに単純な展開になっただろうかと思ってしまう。
私たちは、大人になって、いつからか「好き」ってことを、
まわりくどくして、わからないようにしてしまっていたり、
恐れや気遣いから隠してしまったり、
現実を考えてあきらめてしまったりすることもあるように思うんだ。
この「好き」は、人に対してだけではなくて、
好きなものやことに関しても。
生まれたときって、この地球のルールなんて、なんにもわからなくて、
「これ好き」って感覚で、泣いたり笑ったりしていたのかもしれないなぁって思う。
大きくなるにつれて、家族や社会にいろんなことを刷り込まれて。
そして、いっぱいつけてしまったいらないものを、
またそぎ落としていくのかもしれないなぁ、なんて。
私は、いつも、もっともっとシンプルになろうと思っているんだ。
好きなものは、「好き」と自然に言える素直さ。
率直さと単純さ。
それって、自分の感性を信頼していることでもあるなぁと思う。
小さな子どもって、思いのままに行動するじゃない。
つかみたいと思ったものは、机のうえに乗っかったり、
ぐちゃぐちゃ泥まみれになったりしても、つかむ。
社会事情も観念も知り、大人になった今だからこそ、
そういう思いのままに行動することって、とても大事な要素だなぁって思う。
私の甥っ子は、いま、2歳半なんだけれど、
毎回、会うたびに、「かっち、大好き!」って言ってくる。
そのなんともかわいいこと。
私も、呼応して、「光ちゃん、大好き!」って返すのだけれど。
そして、お互い、いい気持ちになる。
こういうのって、とってもいいなぁって思うよ。
好きなものを好きといえること。
この凛とした爽やかさ、可愛らしさを、とても心地よく思うんだ。
当たり前のことなのかもしれないけれど、
自分が難しいことを考えそうになると、
このシンプル極まりない感覚を思い出す。
すると、風が通り抜けるような心地よさを感じる。
私にとっては、とても大切な感覚なんだ。
ゆうこりんは、このポニョの台詞を聞いて、
どんなことを思うかな?
From ひろかっち
Comment [1]
DOORSさん
Dearひろかっち
今回は、誰でも知ってるジブリ作品の、簡単な文言。
なるほどなるほど〜!
・・・実は私、ポニョ観たことないんだよね・・・(笑)。
だから、映画を観てからお返事書こうかと思っていたのだけれど、
なかなかチャンスがないので、一切の余計な情報がないまま、
この言葉についてだけに焦点を当てて、お返事を書いてみることにするよ。
好きっていう感情は、そもそもどこからやってくるんだろう?
なぜ人や自然やものに対しても「好き」って思えるんだろう?
それは人として生まれてきたら必ず起こるものなのか、それとも
後天的に、人間として成長する中で育まれていくものなんだろうか?
きっと、まだそこは最新の脳科学でさえわかってない分野なんだろうけれど、
とにかく、どこかで人は何かを、誰かを「好き」って思うように
できているんだよね。理屈じゃなくて、体感として。
あ、これいいな!とかキレイだな!とかかわいいな!
って思う何かがあって、それを 好き っていう風にインプットする。
その塊がどんどん大きくなって、自分が好きなものやことが
集められて固まっていく。
でも、その一番最初の、「いいな!」って思うそこの部分は
なんとなく、自分の理性とか経験とかを超えたところにある気がする。
人智を超えたところにあるというか。
それは、直感という言葉で置き換えてもいいかもしれないもの。
ひろかっちは、感性という風に表現していたけれど、
その感性すらも、いつの間にか磨かれていた自分の直感力の大きさ
なんじゃないかな?
だから、「好き」の感度が高まれば高まるほど、
自分の理性や経験を超えた、言葉にはできない部分と
繋がっていくことができるんじゃないかなって思ったよ。
子どもは、頭でものごとを考えないで、感性だけで生きている。
心地いいか、心地よくないか。
大人になるっていうことは、心地よくないものをいやだと
言わない物分かりのよさだったり、我慢ということだったりを
覚える一つのプロセスだけれど、
そこで、ただ単純に「いいね!」「好き!」って
思える感度を鈍らせ過ぎてしまうと、
きっと人生がつまらないものになってしまう。
私はわりと理屈好きで、好きっていう感情の理由さえ、
「どうしてそうなのか?」を真剣に考えるし、
そうして理論建てて説明できることもたくさんあるけれど、
でもやっぱり、最終的にその理屈は「後付け」で
最初に感じた「あ、いいな!」「好き!」っていう感覚こそが
何より大事な、自分の「根源」みたいなものなのかなって思うよ。
だから、ものごとを難しく考えそうになったときは
きっと、単純にそれを「好き」って言えるかどうかを
感じてみることが近道なのかもしれないね。
ゆうこりん
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