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虹は、神さまとの約束のしるし。いつも一緒にいるよっていう約束のしるし。

そう言ってしまうと、ちょっぴり宗教的に感じる人もいるかもしれないけれど、ここでいう神さまっていうのは、おばあちゃんが言っていた「おてんとさま」だったり、自然そのものだったり、もっとおっきな言葉を使うなら、宇宙って言葉になるのかもしれない。とにかく、それは私たちの知恵や知識を超えて働く、目に見えない大きな力。そういうものに、私たちはいつも守られているよってことなのだと思う。


2009年、ゆうこりんのサロンのお客さまだった私に、彼女は突然いった。
「ひろかさん、セドナって知っていますか?行ったことありますか?セドナ、一緒に行きませんか?」。

あまりに唐突なお誘いに、「旅は、本当に気を許せる親しい人としか行かないことにしているのです」と断った。けれど、施術の終わった直後、「セドナ、一緒に行きましょう」と応えていた。

そうして実現した、2010年節分から始まったセドナの旅。

アメリカ・フェニックス空港からセドナに向かって車を走らせる道中、いままで見たこともない巨大な二重の虹が目の前に現れた。
私たちの来訪を歓迎するかのような、夕焼け前の黄金色に輝く空に姿を現した、

美しく荘厳なダブルレインボー!!

カメラに収めきれないほどのその虹を、私たちは子どものようにはしゃぎ、愛でながら、無心で写真を撮った。何枚も何枚も。苦しいことも、悲しいことも、嬉しいことも、楽しいこともいっぱいある私たちの人生。出会ったばかりでそんなには深く知らない互いの人生。

そんな私たちのたったひとつの共通項。全力で感じて、全力で生きる。

そんな私たちを励ますような、力強くも優しい虹に、私たちの心は大きく開かれていくのを感じていた。まだ知らない自分、まだ開かれていない心のドア。虹は、私たちの頑なな何かをそっとノックした。何を言うでもなく、ただそこに姿を現すだけで。虹には、そんな目に見えない偉大な力があるのかもしれない。


虹。それは、私の原点だ。

まだ、世界がすべてつながっていることに確信がなかったころ。私にとっての軸や信念、真実を取り戻す前。自分が本当は何をして生きたいのか、どんな風に生きたいのか、何が本当の望みなのか、自分が何者なのか、見えない真っ暗な闇の中にいるように感じて生きていたころ。

取材で出会った、小さなアトリエ。ルピナスの3原色のパステル画。

赤・黄・青。たった3色だけのパステルで、綿を使って描いたその色は、出来上がると美しい虹になっていた。そっと塗り重ねる白い紙のうえで、色と色が優しく響き合って、美しい虹になっていた。「綺麗...」。自分で描き出したその色に、私はたった一言、そうつぶやいた。

人生初めての身体に電流が走る感覚。「こんなに目の前は真っ暗で、未来はなんにも見えなくて、生活は自堕落で、心も真っ黒で無理して笑ってる、ダメダメな私にも、まだこんなにも美しい色が描き出せる力があったんだ」。

この色が、私の人生に寄り添ってくれるなら、私は一生いきてゆける。

そう思った。このアトリエルピナスの3原色パステル画との出会いが、私の人生のすべてを変えた。たった3色で描くのに、みんなの色はまったく違う。ひとりひとり異なる色を描き出す。けれど、そのどれもが美しくて、そのどれもが輝いている。つながっていく色。それが、大きな虹を創り出す。ひとりでは創りだせない美しい世界。それは、小さな紙のうえで起こっていることではなくて、私たちが生きているこの世界、そのものだ。


それ以来、虹は、いつも私の心の中にある。


家に帰って、自分で描いた虹を見た。

やっぱり何度見ても、「綺麗...」って言葉しかでてこない。思わず、涙が頬を伝っていた。自分の中の光がほんのすこし大きくなって、優しくてあったかい気持ちが心の中に芽生えていた。


世界中どこにいても、ある瞬間に出会える虹。どこで見ても、つい足をとめたくなって、なぜか心が嬉しくなるのは、虹が、何も言わず「そのまんまで大丈夫だよ」って、優しく伝えてくれているからなのかもしれない。

そう感じるとき、やっぱり何か目に見えない大きな力に、私たちは守られているのだと思い出す。私たちは、忘れっぽいから、守られてここに存在していることを、すぐに忘れてしまう。

目の前に現れる美しい虹は、もしかしたら、本当に神さまとの約束なのかもしれない。次に、虹に出会ったら、今度は、私のほうからそっと「いつもありがとね」って伝えようって思う。

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セドナの旅を終えたそのときにも虹は姿を見せてくれた