「おかえり」。
その町へ車がはいったとたん、空のほうから声が聴こえ、温かなエネルギーに包まれた気がした。
セドナは不思議な場所だ。
たった1度だけ訪れた場所なのに、2回目にはもう馴染みの感覚すら沸き起こる。
「ただいま」。
そっと、こころの中で、そう応えた。
2010年、必死にくらいつき格闘した末に、友達感覚になりかけた岩たちは、
今回は、どんな態度だろう。どんな表情だろう。
自分の感覚の変化にどきどきわくわくしながら、対面のときを待つ数十分。
再会するのがちょっぴり恥ずかしいような気持ちにもなりかけたが、
現地についたとたん、数分前に感じてきたすべての感覚がふっとんだ。
ひょい♪ひょい♪ひょい♪
こころが何かに反応する前に、からだが動く。
目の前の岩山を、軽々と登る自分がいた。
まるで、近所の裏山で遊ぶかのように。
随分な変化だ。
旅すること。自然と戯れること。からだを動かすこと。
呼ばれるがごとく、思いのままに旅を繰り返した2年の歳月は、
私を別人に仕立てあげていた。
生まれ変わった私。
その私は、セドナの町で目に入る風景や岩たちを、もう何年も前から知っている、
親しい友のように感じている自分に気づいた。
制限がなくなるって、こういうことなのか?!
枠がはずれるって、枠の外にあった世界が、自分の世界になるってことなんだ。
世界が大きく広がって、呼吸がしやすくなるってことなんだ。
けれど、親友になったからといって、なんでも知っているというわけではない。
親しくなればなるほど、知らないことがいっぱいあることに気づく。
親しくなるということは、その存在の一段深い世界を感じることになるからだ。
触れるたび、感じるたび、新たな魅力を発見することになる。
そして、さらに未知なる世界を垣間見て、どきどきわくわくし始めるのだ。
「自然も人も一緒さ♪」。
原稿を書きながら、そんな声がセドナの岩たちから届いた気がした。
温かい感覚が、からだ中に満ち溢れる。
そう。2日目に登ったボイントンキャニオンでも、こんな風に温かなエネルギーに包まれたんだ。
穏やかな表情と優しい口調で、その場所で出会ったおじさんは、言った。
「岩に手をつけて座っていきなさい。ここの岩たちは、過去に溜めてきた思いを、全て流してくれるから」。
きっと現地のヒーラーさんなのだろう。
天と地をつなぐエネルギー、自然と一体となる私たち本来の姿のことを聞きながら、涙が溢れた。
とめどなく流れる涙は、まぎれもなく、細胞のなかから何かを流し出していった。
そういえば、2010年のセドナ滞在のとき、
誰にも話せなかったことを、やっと口にできたのも、
このボイントンキャニオンの岩々に包まれた、深い森の中だったことを思い出す。
岩に包まれるなんて感覚は、全くなかったけれど、
いま思えば、私はセドナの岩たちの深い懐に抱かれてきたように思う。(つづく)
青い空に映える、ボイントンキャニオン。セドナにて。
しっとり涙が流れたあとは、スッキリ爽快!
ここから先は、無邪気な子どもの旅が始まった。
前回では、そびえ立つように感じられたカセドラルロックやベルロック。
恐れの感覚は、嘘のように跡形もなく消えていて、
余裕の笑顔で登っていく。
道なき道もなんのその。
断崖絶壁とも感じられる岩のうえで、はしゃぎにはしゃぎまくった。
人は、本当に変わるもんだ。
でも、それは私が世界を広げる!って決めたから、辿り着いた新たな世界。
あるとき、こんなことがあった。
屋久島で吊り橋を渡ったときのこと。
恐怖で足がすくんで、一歩も動けなくなったのだ。
恐怖はどこからやってくるのか?
それは、私においては想像力のたまものだった。
そして、その想像力は、私の自慢品でもあった。
だから、どんなときも手放したくなかった。
けれど、ある場面においては、それを手放さない限り、世界を広げることはできない。
大好きになった岩登りも山登りも、沢登りも、思う存分、楽しむことができないのだ。
さぁ、どうする?
先を歩くドアーズの相棒ゆうこりんから、
「チャンネルをつなぐことができるなら、切ることもできるでしょ!想像力をカットしてみたら?」
と、投げかけられた。
今、ここ。私の足は、大地に着いている。
それが事実だ。
それ以外に、何があろう。
不思議なことにその瞬間、想像力を働かせない感覚を体得したのだ。
それ以来、想像力のチャンネルを切る、はたまた、スイッチを切るかのように、
恐怖につながる回線を、「意識して」つながないことが可能になった。
いまのところ、この方法はうまく機能している。
そして、この回線につなげないための最大の方法。
楽しい!っていう感覚で、からだ中を埋め尽くすこと。
楽しい!美しい!面白い!
そう感じると、細胞が喜びながら、こともなげに世界を広げてくれる。
枠や制限なんて、あってないようなものだ。
ベルロックで飛ばした、シャボン玉。
高い岩のうえであることも忘れて、虹色の玉を追うように、飛び跳ねて遊んだ。
赤土の岩を背景に、青く晴れ渡った空に舞い上がる無数のシャボン玉は、
声にならないくらい美しかった。
虹色にキラキラ輝いて。
岩たちは、私たちを思う存分、遊ばせてくれた。
ピュアな子どものように、五感をよみがえらせてくれた。
岩。
やっぱり私は、岩という名のエネルギーに包まれ、その懐に抱かれてきたのだと思う。
そして、岩たちは、まだまだ計り知れない自然のパワーを秘めているにちがいない。
そう思うと、セドナの岩たちに、次に会うのが、すでに今から楽しみなのだ!
断崖絶壁?!にも近いような場所で、シャボン玉に包まれて。セドナ・ベルロックにて。
photo by Tak S. Itomi