「知る」ことは、「感じる」ことの半分も重要ではない。― 『センス・オブ・ワンダー』 レイチェル・カーソン
2013年5月のletter 一覧
一日が始まる瞬間に立ち会うということは、自分の可能性に向かって解き放つ
ということです。
夜明けに立ち会うことで、あなたはとても繊細に自分の意志を一日に加えます。
あなたは一日が始まり、物事がなるようになることを許します。
あなたは開かれた思考と開かれた心をもってそこにいるだけです。
ーディーパック・チョプラ『人生の本質』より
Dear ひろかっち
実は今、事情があって夜中から作業をしていて、ちょうど早朝、これから夜明けが始まる、という時間帯。
だから、というわけではないけれど、今回の問いかけはどうしよう?と思って、手元にある本をパラパラめくっていたら、ふとこの文章を自分がずっと憧れていて、でもなかなか出来ずにいる、この「夜明けとともに生きる」「朝型生活」の意義と本質を見つめてみたいと思ったんだ。
何故、早起きするのがよいのか?もちろん良いことは頭ではわかっていて、実際、超早起きをすると、(めちゃめちゃ眠いけど)一日が長く感じられて、清々しさも感じられて、いい事尽くめなんだけど、でもやっぱりなかなかできないのが、今の私の現実。
朝、夜明けに立ち会い、瞑想をする。どの宗教でも過去何千年と行われていたこのことで、人は「個人」を捨て、真の自由を獲得すると、この本では書かれていた。
抜粋して紹介するにはとても難しい概念だけれども、とにかく、朝の清々しく透明な空気の中で、心の中のごちゃごちゃ(こないだのあれはどうしよう?やっぱりあんなこと言わなきゃいよかった、明日の天気、大丈夫かな?そういえば来週やる予定のあれ、スケジュールどうなってたっけ?ああ時間がない・・・的なよくある堂々巡り)の中身を少し見つめるだけで、それらの事象をただ認めるだけで、心が落ち着くだけでなく、これからの一日を、そうではない違う自分で生きることにする、と決意することができる、と。
そして、それをずっと行うと、自分のことだけを考えるのではなく、エゴから離れて、もっと大きな概念の中で動くことができるように、小さな気づきが大きな行動に変わっていくのだ、と。
ふーむ、と、今までこれを読むまで、早起きの効能っていう表面的な概念は知っていたけれど、ここまで深く「朝」「夜明け前」が何故よいか?について考えたことはなかったな、と思った。
今、巷では「朝活」なんていって、早朝から勉強会やらなにやらしてる人もいるらしいし、何かのセミナーで「本当のエグゼクティブは、高級ホテルのスポーツジムに朝行けば、必ずエクササイズしてる」みたいなことも聞いたことあるけど、へー努力家なんだなーやっぱり、としか思ってなかった。
けれど、もしも朝、というその時間が、自分の意志を越えた何かと繋がりやすいとか、そういう理由でよいのなら、ちょっと試してみる価値はあるのかな、とふと思ったんだ。努力とか根性とかじゃなくて、こういう日を1週間のうち1日でも2日でも持つこと。そのことが、もしかしたら自分の知らない自分へに気づく、新しいキーなのかもしれない。
私は睡眠大好き、二度寝が大好物なので(笑)、なかなか毎日というわけにはいかないかもしれないけれど、この文章を早朝に読んで、なんとなく、今までよりも深く、ほんの少しでも、夜明け前とお友達になってみたいな、と思ったよ。
ひろかっちは、これを読んで、また、朝、夜明けに立ち会う、ということで何か感じることや思うことはあるかな?