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2013年5月の往復書簡~「感じる」大切さ




「知る」ことは、「感じる」ことの半分も重要ではない。


        ― 『センス・オブ・ワンダー』 レイチェル・カーソン


Dear ゆうこりん

とってもわかりやすい一文にしてみたよ。
大好きな本からの一節。

私は、いつも「感じる」ってことを大切にしている。
だからまずは、自分の目で見て、耳で聞いて、肌で触れて、感じてみようって思うんだ。

今の世の中は、情報が簡単に手に入る。
例えば、フランスのモンサンミッシェルやアラスカのオーロラを見てみたいって思ったら、美しい映像や写真で、すぐさま見ることができる。

もっと調べれば、成り立ちや歴史だって、いとも簡単に知ることができる。

行ったことのない場所や、やったことのないことだって、「知って」、行った気、やった気、体験した気になることだってできる。

それはなにも遠くの場所や大そうな事柄に関してだけではなくて、日常の中での小さな事柄に関しても同じことが言えると思うんだ。

身近なところでいえば、勉強。
「知る」ってことより、そのことを学び、何を「感じるか」のほうが、どんなに豊かなことだろうと思う。

大人になってからは特に、ただ「知った」ことは、知ると同時に「感じた」ことに比べたら、なんの意味もなさないようにすら思う。



レイチェル・カーソンは、この本で、子どもたちが、美しいもの、未知なもの、神秘的なものに目を見はる感性(センス・オブ・ワンダー)を育むために、「感じる」ことが大切だと書いているのだけれど、それらは、とても共感できる部分。


本の中には、こうある。

「美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、讃嘆や愛情などのさまざまな形の感情が、ひとたびよびさまされると、次はその次の対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。

そのようにして見つけだした知識は、しっかりと身につきます」。


さらに、
「生まれつきそなわっている子どもの「センス・オブ・ワンダー」をいつも新鮮に保ちつづけるためには、わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘など子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、すくなくともひとり、そばにいる必要があります」
とある。


私は、人生の醍醐味は、喜びも悲しみも、感動も怒りすらも、味わうことなんだと思ってる。
それらを抑え込まずに、ちゃんと自分で認めて感じること。
それが、「生き生き」生きるってことなんだと思う。

私は、どこかでずっと自分の本音を抑え込んで生きてきた過去があるから、今、全身でそれを表現でき始めた喜びを感じている。

そういう感じることを、表現することを、許すことができたのは、まぎれもなく、ゆうこりんに旅にたくさん連れ出してもらったからなんだ。

自然のなかで、なんにもしない時間、思いきりはしゃぐひととき、ただただ楽しい!って感じることは、私が蓋をしてきた「喜びを感じ、喜びで受け取るというセンサー」を開いてくれたように思う。

こんな風に、無邪気になるって、魂の本質に立ち戻ることのように思うよ。

だからこそ、「感じる」って本当に大切なことなんだね。

私から見ても、全身全霊でいろんなことを感じて生きているように見えるゆうこりん。

これを読んで何を感じたかな?

From  ひろかっち
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DOORSーこころのドアを開く旅。

About

DOORS連載・それぞれの人生で心に響く言葉を題材に ふたりで交わす愛いっぱいの公開レター 気づきの往復書簡。

キラキラわくわく。時に深遠に。 そこには人生の気づきがてんこ盛り!

登場人物

ひろかっち
人生は魂の旅! たまに天然炸裂の 旅大好きセラピスト

プロフィール詳細

ゆうこりんは、旅と遊びの先輩。 そして、思いを深く分かちあえる人。

ゆうこりん
人生を旅のように生きるがモットーの 旅人ボディセラピスト。

プロフィール詳細

ヒロカッチは、遊びの中で人生の深みを 感じ、共に体験し笑いあえる人。

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