浜。
今回は、このテーマにしようと決めたとき、
一番に浮かんだのは、2010年沖縄で過ごした夜の浜辺だった。
ゆうこんとのひょんな会話から、沖縄に飛ぶことになった2泊3日の短い旅。
書きたい!って最初に思ったのは、
沖縄本島の北のほう、今帰仁(なきじん)にあるゲストハウスでの出来事。
海に沈む真夜中の月を、旅仲間と一緒に眺めた感動体験だったのだけれど、
思いを馳せるうちに、あの旅で起こったさまざまなことが脳裏を巡り、
あまりにもボリュームが膨らみそうなので、前後編にまとめ上げることにした。
記憶とは曖昧でいい加減なものだ。
思い返して、引き出すたびに、その景色は変わって見える。
話すたびに、印象深かったシーンだけが、色濃く刻まれていき、
ほかのシーンは消えてしまったり、ひどいときには事実とは違う出来事になってしまったりする。
私の旅の記憶だって、覚えていることは、ほんの一部にすぎなくて、
そのとき実際にあったことや感じたこと、それすらも脳内では違うものになっている可能性もあるのだ。
それは、いい悪いではなく、単純に脳のしくみ。
最近、学んでいる脳科学の見解からしても、
「記憶は簡単に書き換えられる」。
それが事実だ。
さぁ!私のこの旅の記憶は、どんな風に書き換えられているのだろう。
もしくは、あのときのまま脳内に残っているのだろうか。
かつての旅の記録を開いてみよう。
その前にひとつだけ。
いまでも強烈に記憶されていることがある。
それは、「この旅が、とってもとっても×100万回、楽しかった!!!」って感覚だ。
そして、この旅もまた、私の今後の人生を大きく変えてくれる旅だったってことだ。
そんなことを感じながら、かつての自分が書いたブログ記事を読み返してみた。
こちら↓
新鮮!!
そうだ!私は、日本ではユースホステル以外の安宿に泊まったことのない、
目指せ旅人!ちゃんだった(笑)
いまでこそ「ゲストハウス」という言葉や概念が、
自分の辞書の中では、常用言葉になっているが、
当時の私は、日本にも素敵な「ゲストハウス」がたくさんあるということに、驚嘆したのだった。
ブログ記事には、こんなくだりがあった。
「さてさて、今回の私のお楽しみは、安宿オンパレード。
念願の2000円~3000円の楽しいゲストハウスや民宿。
ワンダフル!
外国のユースに比べたら、
日本の宿って、ビューティフル♪
友人にとっては、復習ともいえる旅。
数年前に友人の泊まった宿から宿へ。
ひとりの人とのつながりが、自分の世界を広げてくれるって、本当に素晴らしい!」。
今では当たり前になっていて、すっかりあのときの感動が、うすらいでいた。
友人の見つけた、那覇の"超高級安宿"に盛り上がった、極上のわくわく感。
すべてが初めてで、世界がキラキラと彩りを帯びていく喜び。
もちろん忘れていたわけではないけれど、もっとほかのシーンが色濃く残っていたため、
このシーンは、かすかな記憶となっていたのだ。
それでも、こうして思い出すたび、
このわくわく感や喜びで、からだ中が満たされるのだから、
この記憶は、書き換えずに「楽しかった」旅のスパイスとして、大切にとっておこうと思う。
この記憶を引き出し、思い出すだけで、
私は、どこにいても、幸せな感覚に満ち溢れることができるのだから。
このわくわくする記憶を引き出してくれたのも、
今回のテーマである「浜」にほかならない。
「浜」から、連想され、芋ずる式に呼び起された記憶が、
いま、自分の部屋で記事を書いている私を、幸せな気持ちに仕立てあげてくれたのだ。
沖縄にいないのに、私はいま、沖縄のあの風や空気を、この部屋で感じている。
これも、脳が引き起こしている不思議な現象。
だとしたら、旅の「楽しかった!」って記憶を、
日常でも大いに利用しようじゃないか!って思う。
旅の記憶。沖縄本島にある斎場御嶽(せーふぁうたき)から、島に渡るまえに久高島を望む。
さて、そもそも、なぜこの沖縄の旅に出ることになったのか。
これは、まさに私にとっての「人生を変える旅」。
勘のいいあなたは、一緒に旅したこの友人が、
ドアーズの相棒ゆうこりんだとお気づきのことだろう。
この旅は、2010年4月のこと。
その少し前の2月には、私たちは、アメリカセドナへ旅をしている。
また、すぐさま旅にでるのか?!
旅人ゆうこりんは、旅に行く前から、3つ先の旅を考えているような人だ。
当時は、そんな彼女を信じがたい感覚で感じていた。
それが、いまや?!
私も、年間何本か行くであろう「旅」のことを思いながら過ごしている(笑)
この感覚が、離れて暮らす家族の緊急事態にも、その距離をものともせず、
行き来することで乗り切ったのだから、旅人感覚は私の人生の恩人と言っても過言ではない。
制限をはずすと、人はなんと自由に生きることができ始めるのだろう。
さぁ、この旅への導入。
それは、お洒落な大型家具屋のフードコートでの会話から始まった。
「ひろかっち、久高島(くだかじま)って知ってる?」
おっと。また来た!
セドナのときの誘いも、こんな風な出だしだったんだ。
こういう唐突な話のとき、私の直感と触角は、何か不思議な響きを感じる。
そして、どこにあるかさえ知らないその場所へ、
急に呼び寄せられるような、このタイミングで訪れなければならないような、
そんな感覚が沸き起こるのだ。
何も聞かないうちから、「くだかじま」という響きに、
猛烈に惹かれるものを感じていた。
もう、その時点で、私は訪れることを意識し始めていたのだろう。
直感で動くって、そんなものだ。
根拠なんて、どこにもない。
ただ、わくわくする方へ、喜びを感じる方へ、歩みを進めるだけだ。
ゆうこりんは、過去2回訪れたことのあるという、「久高島」のイシキ浜という浜で、
とめどなく涙を流したことがあるという。
過去の清算。
その話を聞いて、その場所へ、この人と、一緒に行きたいと強く思った。
私も、その島へ降り立ちたいと思ったのだ。
訪れたい!と思ったら、行ける手段を考えるのが旅人。
すぐさま、ゆうこりんは、マイルの状況を調べ始めた。
「私は、マイルを使えば、無料で沖縄へ飛べる。
ひろかっちは、どうだろう?」
その場で、私の会員番号でログインして調べてくれる。
この行動のすばやさが、現実を動かす力なのだと感心したのを覚えている。
結果は・・・
なんと!?
たった、200だか300だか、ほんの少しのマイルが足りないため、
無料では沖縄に行けないことが判明。
ショック!!!
と思いきや、ゆうこりんが、飛行機のサイトを眺め、妙案を出してきた。
「今回、ひろかっちは、"おともdeマイル"システムを使い、安く沖縄に飛ぶ。
すると、今、キャンペーン中だから、2倍のポイントが付く。
ということは、今回の旅に安く行けるうえに、
マイルが溜まり、さらにもう一回、沖縄へ行けるってことだよ♪」。
その話、乗った!!!
私たちは、その場でチケットを予約し、沖縄への旅が決まったのだった。
このとき、那覇で紹介されたゆうこりんの友達と、この数か月後に、
私は、日本の最南端にある波照間島を旅することになったのだから、
人生って、何がどこでどう繋がってゆくかわからない。
その旅で"人魚"に出会った感動体験は、
ワンダー体験記Vol.13「水」に綴っている。
沖縄本島から、数十分船に乗っただけで辿り着く久高島。
けれど、神の島と呼ばれるこの島は、なにか不思議な空気感を漂わす島だ。
御嶽(うたき)と呼ばれる祭事を行う場所を訪れたり、
それこそ、浜でのんびりしたり、
ふたりで自転車を借りて、島をめぐった。
今回の旅は、ゆうこりんにとっては、過去あった辛いことのすべてを流し、
そして、新たな記憶に書き換えるようなものだったのかもしれない。
年老いた"おばあ"がひとりで営む民宿に泊まった夜。
急に嵐がやってきた。
激しい雨風が、小さな民宿の窓を揺らし、
私たちは、吹き荒れる荒野に立つ小屋にいるかのように、揺さぶられ続けた。
その夜。
ゆうこりんは、深い深い意識のなかに入っていった。
布団を並べて横たわりながら、聞こえてくるその話に、
私は、ただただ、相槌を打ち続けた。
私にできることは、ただ話を聞くことと、
そして、彼女のなかにある、今まで吐き出すことのできなかった何かが全て流れ出て、
清らかな流れが戻ってくることを祈ることだけだった。
いまとなっては、ゆうこりんが何を話していたのか、
それがどんな状態だったのか、記憶にはない。
ただ、あの夜、私は祈り続けたことだけを覚えている。
抱きしめることも、触れることもできぬまま、
ただ隣で横たわりながら、うなずきながら、祈り続けたことだけを覚えている。
またしても、どこか遠い異国にトリップしたかのような夜だった。
そして、翌朝。
爽やかな青い空が私たちを待っていた。
澄んだ空と、雨のあとのにおい、そして、赤いハイビスカス。
"ザ・沖縄"の空気が、私たちを迎えてくれた。
早朝に、二人で見に行った夜明けの浜の景色。
その美しかったこと。
「朝陽が水平線から、光の矢を放ち・・・」。
ゆうこりんの大好きな松本隆さん作詞の『瑠璃色の地球』のフレーズ。
まさに、その歌の通り、人生の夜明けが来たかのような美しい浜だった。。
この旅から戻っても、私は久高島でのことが忘れられず、
しばらく、パソコンのデスクトップ画面として保存し、毎日眺めていたほどだ。
この日は、祭事があるとのことで、
島のとある場所から北の区域には、入れなくなっていた。
ユタという巫女のような人たちだけが、はいることを許されているのだという。
久高は、女性の島。
男性は、入ることを許されない「御嶽」。
きっとこの島にも、私たちには計り知ることのできない、秘められた力があるのだろう。
そういえば、おばあは言っていた。
「イシキ浜へ行くといいよ。
すべてを流してくれるから」。
ゆうこりんだけじゃない。
私もこの浜で、この島で、何かを流してきたのだと思う。
いまとなっては、この島で私が私自身に感じた記憶は、
ほとんど残っておらず、これらすべては架空の話のようでもある。
「浜」が呼び覚ました、これらの記憶。
記憶とは不思議なものだ。
あんなに鮮やかに感じたことすらも、
いまの私に必要のないことは、ぜんぶ忘れ去っているのだから。
そして、きっとこの旅の記憶は、私サイドからの記憶であって、
ゆうこりんの中には、またまったく違う記憶として残されているのだろう。
それでも、変わらない感覚がある。
「すっごく、すっごく×100万回、楽しかった!」って感覚。
そして、「ずっとずっとやってみたかったことが、いっぱい叶った旅」だったってこと。
ほんの一歩を踏み出すだけで、こんなにも世界は輝いていた。
私がずっと体験したかった世界へ、ゆうこりんは私を連れ出してくれたのだ。
そして、この旅は、後編の「浜」へ続く。
沖縄本島に戻ってからの、子どものようにはしゃぎまくった旅へと繋がってゆくのだ。
(Vol.18 浜 Beach-後編につづく)
久高島のイシキ浜にて。私たちだけのプライベートビーチ?!はだしになって、浜を歩いた。
久高島の浜辺にて。美しい光に包まれた朝だった。