自分が一生をかけてやりたいと思えることは、時間をかけて、真剣に取り組み、工夫を重ねた経験があることの中からしか生まれてこない。―― 『上京物語 僕の人生を変えた父の五つの教え』 喜多川泰 著
Dear ゆうこりん
この文章に出合ったとき、まったくその通りだと思ったよ。
このあとには、「やらずにわかる人なんていない」と続く。
そして、そこには、「「やりたいこと」というのは、本来、自分がお金を払ってでも手に入れたいと思っていることのはずだ。ところが、将来やりたいことは、「お金を稼げることの中から探す」のが常識になっている。
その常識の枠の外に出なければ、人生を通じてやりたいことなんて見つかるはずがない」とも書かれている。
さらに、「自分ができること、知っていることの中で、世の中の人の役に立てるものが見つかる。そのとき初めて、自分の人生を通じて、やりたいことというのが生まれるんだ。
ここに至るまでには、時間がかかる。
お金を払ってでもやりたいことが仕事になるまでには、熟成期間が必要なんだ。
その熟成期間を待たずに、一度きりの自分の人生をかけてやりたいと思えることを見つけることはできないんだよ」、と締めくくられる。
これを読んだとき、三原色パステル画やドアーズの活動、そしてライフヒーリングセラピストの仕事を思ったよ。
そのどれもが、お金になるかならないかを考えて始めたものではなかったなぁ、と。
そして、最初から、セラピストになろうと思って、なったものではなかったなぁ、と。
探求をし続けていたら、そんな道へと押されてきたんだよね。
とにかく、「好きでやり続けている」「探求が尽きなくてやり続けている」「楽しくてやり続けている」という感覚に尽きる。
そのやり続けたことが、今の状態まで私を連れてきた。
そして、今でもやり続けていることが、また自分の知らない世界やステージへと自分を連れて行くのだろうと思っている。
もちろん、その中で、どうやったら生活していけるか、どうやったら継続していけるかを真剣に考え、行動し続けたのは事実。
いつも、もっと突き詰めたい、もっとやりたい、もっと良いものとして提供したいと思う一方で、「どうやったら、継続できるだろう」と考えてきたと思う。
そして、なぜラッキーにも私は、生涯をかけてやっていきたいと思えることに巡り合えたのかと考えると、「私が、本気で望んだからだ」としか思えない。
人は、「好きなことを仕事にできていいよね」と他人事のように言うこともあるけれど、本気で望めば誰だって、そういう風な人生を創り出すことができると私は思っているんだ。
ただ、それには少し時間が必要だと、この作者と同じように思う。
私だって、いまやっていることが最終形態ではないかもしれないし、これからも流動的にその表し方は変わっていってよいと思っている。
だから、本当にやりたいことが、一発でサクッと見つかる人なんて、この世にいるのだろうか?とさえ思うよ。
私自身は、空回りとも思えるほど、いろんなことをやったりもした。
「やりたい!」と思って、参加したり、習っては、「これは違う」「生涯かけてやりたいと思えない」と思い、がっかりしたり。
それでも、私は、「これは私には、ちがうことがわかった」と思ってきた。
そういう経験もひとつひとつ大事に重ねてきた。
そして、思い返せば、私の最初の一歩は、「東京に出たい」という思いだったように思うよ。
それは、実家や田舎の町だけで生涯を終えるのが嫌だったというネガティブな感情の反動が生み出した願望だったかもしれない。
それでも、私は、自分のこころに素直に行動を起こした過去の自分をほめようと思う。
「どうやったら、親は東京行きを承諾し、さらに協力してくれるだろう?」。
「私は、何がしたいのだろう?」。
中高生の私は、いつもそういう視点で感じ続けてきた。
そして、「東京で、マスコミに入って、情報と人や、人と人の架け橋になる仕事をする」と決めたんだ。
かといって、大学ではマスコミにはいるためだけに生活をしたわけではなく、その時々、「やりたい」と思うことに関わってきた。
その「やりたい」と思ってやったことは、直接いまの仕事や活動に関係していなくとも、そこで出合った友達が私を応援してくれたことが今の仕事へ踏み込めた原動力だったり、行き当たりばったりの旅をしてきたことがドアーズのアイデアになっていたり、なにかしらの要素ですべては「今」に繋がっていると感じる。
でも、すべてにおいてそう思えるのは、私が、「自分がしたいこと」に貪欲で真剣だったからだとも思う。
自分の魂が喜ばないことを、私は長いこと続けることはできなかった。
だとするなら、未知の世界へ飛び出して、チャレンジし続けるしかない。
私は、そっちの道を選んだよね。
ゆうこりんもそういう道を選んでいるよね。
大切なのは、ほんの小さなことでいいから、いま「やってみたいこと」を真剣にやってみるってことだと思うんだ。
それは、どこかに旅するってことだったり、遊ぶってことだったりも含めてね。
そのちょっと好きかもと思ってやってみたことの中から、もしかしたらもっと好きなことが見えてくるかもしれない。
そうしたら、そのもっと好きなことに今度は飛び込む。
その過程の中で、「これだ!」ってものに巡り合えるんじゃないかな。
この本の中に、「やらずにわかる人なんていない」とはっきり書いてあるように、私も同感。
やった人にしか、体験した人にしか、飛び込んだ人にしか、わからない「何か」が、そこにはあるんだと思う。
私たちは、そういう経験を少しでも共有したくて、ドアーズの活動もおこなっていると思うけれど、ゆうこりんは、この文章を読んで、どんなことを思ったかな?
From ひろかっち