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2014年2月の往復書簡~「待ち時間」と「残り時間」



  待ち時間と、残り時間。
  人生はその二つのくりかえしのようにも思えます。
  待ち時間に苛立ち、残り時間に焦り、
  私達はそうやって暮らしています。

         石井ゆかりー『愛する力。』より



Dear ひろかっち

今回の言葉は、格言っぽいものではないのだけれど、こんな文章を選んでみたよ。
これには続きがあって、それはだいたいこんな風につづいている。

==
待っているとき、私たちの時間は、
私たちを待たせている人のものになっています。 
でも、時間を「残り時間」と考えるとき、
その時間はまぎれもなく、私たち自身のものです。
他人に期待したり、他人から急かされたり、
私たちはけっこう簡単に、
他人に自分の時間を明け渡してしまいますが、
それはもしかすると、
かなり勿体ないことなのかもしれません。
==

待つこと。
タイミングのような計れない何かだったり、誰かの行動だったり返事だったり・・・。
どんなことでも「待つ」という行為には、上にあるように、時間が自分のものじゃなくて
他人や別のものが主人公で、自分はそこに従属するようなもの。

いつ、それが起こるのか?
いつまで待てばいいのか?

その問いは終わりがなく、正解もない。

そんなとき、何かの出来事が来るのを「待つ」のではなくて、この自分の人生の残り時間を
どう過ごすか、積極的に自分で「選ぶ」とき、たぶん同じ時間の過ごし方をしていても、
その心持ちは全く違うものになるんじゃないかな、と思ったんだ。

この「待つ」は、「期待」という言葉にも置き換えられるかもしれない。
期待という言葉にも「待」の字が当てられているように、チャンス(期)を待つ状態が、
期待の語意。「こうして欲しい」「ああして欲しい」「そうなったらいいのに」と、
煩悩だらけの私は、いつもついそんな風に強欲になってしまいがちだけれど、そこから
一歩離れることで、いろんなことが変わっていく。

「期待を手ばなす」っていうことは、「待たない」「自分で選び取る」ということ
なのかもしれない。そして、期待をせずに、自分の人生の残り時間を、自分でどう使うか
決める。そこには何かすうっと背筋が伸びて筋が通ったみたいな、美しさのようなもの
すら感じる。

だから、これからは「待つ」のはやめて、残り時間、自分の意志でまるごと生きよう。
この文章を読んで、改めてそんな風に私は感じたよ。
ひろかっちはこの文章と問いかけを読んで、どんなことを思ったかな?

ゆうこりん








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DOORSーこころのドアを開く旅。

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DOORS連載・それぞれの人生で心に響く言葉を題材に ふたりで交わす愛いっぱいの公開レター 気づきの往復書簡。

キラキラわくわく。時に深遠に。 そこには人生の気づきがてんこ盛り!

登場人物

ひろかっち
人生は魂の旅! たまに天然炸裂の 旅大好きセラピスト

プロフィール詳細

ゆうこりんは、旅と遊びの先輩。 そして、思いを深く分かちあえる人。

ゆうこりん
人生を旅のように生きるがモットーの 旅人ボディセラピスト。

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ヒロカッチは、遊びの中で人生の深みを 感じ、共に体験し笑いあえる人。

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