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あなたは、この宇宙において、一輪の「花」である。
私は、いつもそう思って生きている。

今回は、2003年のクリスマス、親友が贈ってくれたメッセージから綴ってみることにする。
ノートルダム清心女学園の理事長も務められたことのある渡辺和子さんの本からの引用だ。

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「神が置いてくださったところで咲きなさい。
仕方ないと諦めてでなく「咲く」のです。
「咲く」ということは、自分が幸せに生き、
他人も幸せにするということです。

「咲く」ということは、周囲の人々にあなたの笑顔が私は幸せなのだということを、示して生きるということなのです。

"神が私をここに置いてくださった、それは、すばらしいことであり、ありがたいことなのだ"と、あなたのすべてが語っていることなのです。

「咲く」ということは、他の人の求めに喜んで応じ、自分にとってありがたくない人にも、決して嫌な顔、退屈気な態度を見せないで生きることなのです」

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親友からは、「これは、心が波立ったときに、よく思い出している」と記されていた。
なんて、奇遇なのだろう。
私も親友と同じように、高校時代に授業でこの言葉を知り、それ以来、心に留めている言葉だったのだ。そして、いまでも、私はこの言葉を大切にしながら生きている。

私の笑顔が私は幸せなのだと周囲に示せるとは、どういう状態のことだろう?

セラピストを生業にするようになった今、思うのは、
「私は、私のままでいい」「私は私のまま、存在しているだけで美しい」と、
そんな感覚が、自らの内側から沸き起こっている状態であるときではなかろうか。


花は、芽を出し、茎を伸ばし、葉を出し、花を咲かせ、また土にもどってゆく。

誰に急かされることもなく、自ら無理に咲き急ぐことなく、
その折、その折、そのまま存在し、
時がきたとき、花を咲かせる。

そしてまた、静かに大地に戻ってゆくのだ。

私もこんな風に自然に生きたいものだ・・・。

実家の庭に植えられている、いろんな種類の花を眺めながら、
いつも、ふとそんなことを思うのだ。


そして、どの花も可愛くて、綺麗だなぁと思うのだ。

睡蓮やハイビスカスのような、大輪の花。
タンポポやスミレのような、小さな花。

集団で咲く花。
一匹狼のように、一輪で咲く花。
赤い花、黄色い花、オレンジの花。

繊細な花、元気いっぱいの花。
上品な花、たくましい花。

観察していると、本当にみんな違う。
同じ花であっても、小さかったり、大きかったり、細かったり、太かったり。

十人十色。
そうやって違うから、この庭は、素敵なハーモニーを奏でることができる。
それを感じて、私のこころはうきうきしてくる。

みんな違って、みんな愛おしく感じはじめるのだ。

花を見ているだけで、小さな旅をしている感覚にすらなってくる。
世界は、こんなにいろんな色に溢れているのね!って。


(続く)

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