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人生はじめての長い長い船の旅。

2013年10月、ロサンゼルスに在住の友人たちと寒いアラスカの旅を終えたあと、1晩だけ自宅で眠り、旅行かばんの中身をそっくり入れ替えて、常夏の島「小笠原」へ旅立った。

約25時間半の船旅のはじまり。もちろん、豪華客船ではない。
マットとシーツが1枚ずつあてがわれる雑魚寝の男女混合2等乗船だ。

かばんの中身は、ダウンジャケットとスノーブーツから、シュノーケルと水着に変わる。
これから待ち受ける旅の展開と出会いに、わくわくする胸を静めながら、船で食べる3食分の食糧を買いこみ、乗船手続きを終えた。


それにしても、なんでまた、アラスカと小笠原を、ひとつの旅の行程のように行く気になったのか。

答えは、単純に、「いま、行きたかったから」なのだけれど、その決断の裏では、密かに、従来の思考パターンの打破というテーマを感じていた。

大切なのは、自分のこころに素直に動くこと。
シンプル極まりない答えだ。

それがわかっていながら、決断に至るまでに、こんなにも葛藤を感じることがあるのかと、いつもこころの動きを感じては、自分のなかには自分の知らない未知の生物が住んでいるようにも思う。

そこが、人の面白さであり、探求の尽きないところなのだけれど、実際には、「誘われたアラスカに行こうか、それとも小笠原だけにしようか」と、臆病にどうしようどうしようと迷う格好悪い自分に出会うことだったりして、そういう姿を滑稽にすら感じる。


とにかく、私は、人生に新たな流れを呼び込みたいと思うとき、過去のパターンを崩すことを試みることにしているのだ。今回でいえば、それは「AかB、どちらかをとらなければならない」という思考パターンからの脱却。

この白黒をはっきりつける選び方は、私の人生を豊かに前進させるのに大いに役立ったときも多々あったけれど、苦しめることも多々あったのは事実だ。

数年前、ドアーズの相棒ゆうこりんに出会って、最初に言われたのは、「AもBもとる、C案というのもある」ということだった。

この数年、そう思って、その時々自分の最高の選択をしながら過ごしてきたつもりだったけれど、一切の言い訳なしに、「遊びに行きたいから」という理由だけで、AもBも両方を選んだことがないことに気づいてしまったのだ。
もちろん、どんなに葛藤があろうとも、私の選択は、「行きたいから」「やりたいから」「この人に会いたいから」という、こころの奥から沸き起こる純粋な欲求からはじまる。

けれど、いつもどこかで、言い訳を用意していた。
「これは、研修だから」「これは、今後の仕事につながるかもしれないから」「これは、役立つかもしれないから」など。
そうしなければ、働くことをストップして「遊ぶ」ことへの、罪悪感が消えなかったからだ。

そうやって、言い訳を作っておくことが、私がやりたいことを押し通す唯一の方法と思っていたのかもしれない。

そうすれば、誰に何を言われても、「なぜそれをしたのか」応えられるから。
そうすれば、人から遊んでいることを非難されることはないと感じていたから。
そうすれば、それも仕事の一環だと人に思ってもらうことができたから。

それらは、すべて誰かの評価を基準にしたものの感じ方。
そんなにまでして、私は、誰に支配されてきたのだろう?

そもそも、人は、好きなだけ、休んでもいいし、遊んでもいい。
その生き方さえ、責任を自分でとれるのなら、自由を与えられているはずだ。

私にとって、今回の旅は、「やりたいからやる」「行きたいから行く」、ただそれだけの理由で何回でも遊びに行っていいし、休みたいだけ休んでいいという許可を自分に降ろすだけのことだった。そしてその「AもBもとるC案思考」を取り入れることは、人生においても、とても大きな波紋を広げることを感じている。

***

そんなことを、甲板の上から波を見ながら思ったのだった。

どの大陸とも陸続きになったことのない小笠原は、太平洋に浮かぶ小さな島々。
東京湾を出港し、伊豆七島を過ぎると、携帯電話の電波も届かなければ、島ひとつ周りになくなる。

見えるのは、海と空だけ。

台風の影響で揺れると予想されていた船も、思いのほか静かで、私は、許される限り甲板に立ち、波をずっと見ていた。


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甲板から、どこまでも続く海と空、そしてキラキラ光る波を望む


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真っ青な小笠原の海。波も静かにお出迎え

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