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嵐がやって来る。

自ら「再生の旅」と称して訪れた小笠原は、最初の3日間を過ぎると、台風の影響で荒れる波に囲まれた孤島となった。
海で遊ぶとか、イルカと泳ぐとか、違う島へ渡るとか、一切できない。

せっかく来た美しい南国の島で、こういうタイミングを不運となげく人もいるのだろうけれど、私は、むしろ"ギフト"と感じるような人生を送っている。

すべては必然。
特にこの旅には、初めからなにか目に見えない不思議な力を感じていた。

人生には、転機というものがあり、そのステージごとに、出会う人やもの、起こる出来事や感じることは変わってくると思うのだけれど、旅は、その凝縮であると思う。

小笠原に来て最初の2日間は、イルカと泳ぎ、美しい南島へも、母島へも上陸できた。
いわば、この楽しみ方は、小笠原の黄金ルートなのかもしれない。

それらを堪能したところでの嵐の到来。

おがさわら丸の出航とともに、町からは人気が消え、商店も閉まり、さっきまで人でにぎわっていた通りは静まり返った。

ドアーズのゆうこりんから、「おが丸が出航し、島から人口が減った時間が、このうえなく素晴らしい」と聞いてはいたけれど、本当にその通りだった。


ひとりで誰もいない町を歩く。

どこか知らない国にまぎれこんだ、不思議の国のアリスのようだ。
と思った瞬間、男の子と通りすがった。

さては、うさぎ?!

そんなわけはなく、普通に人間だったわけだけれど、この子との出会いは、今後、私のなかの何かを流し出してくれることになる。


通り過ぎてから、お互いに振り返り、引き寄せられるように近づいて、会話をする。
一緒にお参りすることになり、海を見下ろせる小高い丘の上に立つ神社まで長い階段を登って行った。


****

ご縁とは不思議なものだ。
この14歳も歳の離れた男の子と、ここからの毎日、湾を見下ろしながら、一緒に過ごすことになろうとは。

海に出られない数日間。
自然とふたりで過ごすことになった。
浜辺でサンゴをひろったり、ただただ海を眺めていたり、小高い丘のうえから島を感じていたり。

やることなど何も決まっていなく、今日一日なにをして過ごしてもいい贅沢な時間は、静かにゆっくりと過ぎてゆく。

これまたゆうこりんが言っていたことを思い出す。
「ずっと走り続けてきたひろかっちは、なんにも予定がなくて、今日は何して過ごそうかなって感じて、一日を過ごす時間を、人生の中で体験してみるのがいいよ。しかも、何日間も、ね」。

嵐の様子を心配し電話をしてきた両親は、電話の向こうで、小笠原を地図で確認しながら、「こんな何にもなさそうな島で、2週間もなにして過ごしてるの?」と不思議そうだった。

いま、思い出しても、あの時間は夢だったんじゃないかとすら思えてくるような、時の流れ。

いろんな人生を歩んでいる人にたくさん会った。
私の知らない世界がそこにはたくさんあった。

こういう世界を私が、10代や20代で知っていたら、私の人生はもっと変わっていただろうか。
私のこころは、もっと早いうちから自由だっただろうか。
あんなに苦しかった20代は、もっと違う彩りになっていたのだろうか。

いいえ。

人生は、すべて必然。すべて私の魂の望み通り。
魂は、私が経験し、感じたことすべてを体験したかったのだと今なら思える。

そして、そんないまだからこそ、私は、小笠原に来て、スペシャルな体験をできたのだ。


****

さあ、話を戻そう。
滞在中の一番のお気に入りは、小湊海岸から登ったところにある中山峠から見下ろす湾だった。

前述した男の子と毎日、ここに登っては、何時間も静かな時を過ごした。

「人と人が巡り合うって不思議だね。それぞれが、どこかのタイミングで"小笠原"ってキーワードを誰かからもらっていたから、いま自分たちは、ここにいて、こうして出会って、一緒にいるんだもんね」って男の子は言った。

私は、常々こういうことを感じながら生きているのだけれど、年齢関係なく、そんな風なことを同じ感性で感じあえることを、とても嬉しく思った。

その子は、イルカみたいな子だった。
ただそばにそっと寄り添っていてくれた。

自分の話もいろいろしてくれたけれど、私の話をただ静かに、否定も肯定もすることなく聞いてくれていた。

私が消すことのできなかった悲しみが、ポロポロポロポロ涙と一緒に流れていくようだった。
恥ずかしげもなく、何度、その子のそばで泣いただろう。

私は、人生で出会う人はみんな、現在の自分の一部や、過去の自分、未来の自分を表していると感じているのだけれど、その子には過去の自分を感じていたのかもしれない。


また、その子が好きだと言った福山雅治さんの『誕生日には真白なユリを』という曲が私のこころの琴線に大ヒット。
自分の心境を歌ってくれているようで、これまた泣けた。

すべて演出なのか?!というような「宇宙のはからい」のなか、また静かに時は流れていった。
そんなとき二人で見下ろす先には、美しい湾が広がっていて、心地の良い風とともに、洗い清めてくれるようだった。


私の話を聞いて、「ひろかっちは、いろんなことを感じて、考えて、生きてきたんだね。俺はひとつだけしか考えて生きてこなかったよ」と、その男の子は言った。

「そのひとつって、なあに?」

「いまの自分にとって、一番大切なものって何だろう?ってこと」。

「それだけわかっていれば、充分だよ」と私は、答えた。

うえから見下ろす湾は、大自然の清々しさを感じさせ、この峠で見た夕陽と夕焼けは、格別だった。
360度に広がるマジックアワー。
それは、世界が七色の光に包まれる瞬間のような美しさ。

誰もいないプライベート空間で、空に星が現れるまで、ふたりで静かに自然が創りだしたグラデーションを心ゆくまで堪能した。

「生きてて、よかった」。

思わず、そうつぶやいていた。

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中山峠から見下ろす湾。プライベート空間で、静かな時が流れてゆく。


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太陽が西の海に落ちてゆく。このあと360度、空が焼けるマジックアワーに包まれる。


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